突然ですが私新月飛鳥のブログが引越し致しました。
引越し先はアメブロです。
<ASUKA Cafe>
http://ameblo.jp/acting-action/
ずっとアメブロいいなぁ~とは思っていたんです。
でも忍者ブログもずっとね3年ばかりお世話になっていたので迷っていたのですが思い切って引越ししました!
なのでブックマークして頂いている方は変更お願いします。
それと、密かにこの日記を読んでいてくださった方、よろしければアメブロの方でも読んでいただけるとすっごく嬉しいです。
忍者ブログさんお世話になりました!
そしてアメブロさんよろしくおねがいします!
ASUKA Cafeでも応援していただけると嬉しいです。
では。
<ASUKA Cafe>
http://ameblo.jp/acting-action/
最後に、たくさんの拍手ありがとうございました。
お礼も兼ねて記事と拍手数を記述したいと思います。
1.命:2
2.確実に一歩ずつ:2
3.人との繋がり:2
4.不安、見えない未来、立ち止まり、また…:2
5.明らかな差:1
6.傾向と対策:1
7.小屋入り:1
8.ミュージカル黒執事:観劇記録:1
9.試す前に切り捨てるな:1
10.壊して進め!:1
拍手ありがとうございました!
そしてたみぃーさん、反応できなくてごめんなさい;
せっかくコメントしてくれたのに;;
でもありがとうございました!
十分楽しんできましたよ!(*^ω^)
今までありがとうございました!
これからも宜しくお願いします^^
[1回]
PR
安室ちゃんの新曲をちょっと借りました。アムロちゃんカッコイイのぉ~♪
じゃなくて、ですね(笑
昨日の夜に今度演出する方の劇団に赴いて挨拶をしに行ったのですが
その方とは去年の朗読劇でも一緒にしたことがあったのでその話もしつつ今回の演出の意向なんかも聞きました。
朗読劇のことに関しては「芝居が浅い」と言われました。
で「確かにその幼さ故のエネルギーだとか新鮮さはあって良いんだけど」と。
あと「想像し創造する力」の大切さも話していましたね。
役者は一つの台詞でも何パターンかのものを知って出来なくてはならない。
状況や相手で変わるけれどどれにも対応できるように。身体も同じ様に、声も同じ様に。
そして「なんとなく」ではなくてそのなんとなくを失くさなければいけない。
その事に関連付けて考えていたのだけれど、私は以前先生に「音感が良い」と言われて「その音感で感覚にある芝居でやってしまう所がある」と。
そうか、私はなんとなくでも出来てしまう。台本を貰って読んだ時点でなんとなくでも台詞が音で出てくる、どういう台詞の言い回しなのかもなんとなく感覚としてある。
それで稽古に持ち出してしまうから、浅いと言われざる終えなくなるんだ。
私は”感覚に頼りすぎていた”んだ。
と気づいたんですよね。
目から鱗が落ちましたよ。
先生に言われた時は「音感で出てくる芝居をどうすれば壊せるのだろう」と思っていたのだけれど、今回演出の方に話をさせて頂けたおかげでハッキリしました。
こういう事だったのだとわかった時はすっごく嬉しかったですね。
隠れていた自分を発見したような。
今回のことで言えば「感覚に頼りすぎていた自分を発見した喜び」ですかね。
これでまた新たなステップを踏み出せる。
[0回]
世界は平等ではない。命は平等ではない。
全てが平等なのだとしたら、何故人は短命な人と長命な人がいるの?
何故、悲しみと嬉しさは平等にやってこないの?
この世界は平等になんか作られていない。
悲しみや苦しみに支配されて自殺する人もいる。
勝手な理由で殺される人もいる。
人をあざけ笑う奴でも生きている。
平等という言葉は、人がそんな世界でも生きていられるように造られた言葉。
餓死で死に逝く人もいる。
そんな中で平等ではない世界で私は生きている。
一日一日ちゃんと食事ができて、眠ることもできて、音楽も聴けて、テレビも見れて、夢もある。
生きている。
22年間。ちゃんと生きている。
人は生を与えられた時から死に向かって生きている。
いつ途切れるかもわからない命を使って生きている。
病気で死んでいたかもしれない、交通事故にも遭っていたかもしれない、殺されていたかもしれない…だけど大きな病気もなく、大きなケガをすることもなく、人に殺されることもなくここまで生きてきた。
それはとても奇跡なんだ。
22年間。
長いな。長いよ。
この世界は平等ではない。
だからこそこの22年間は奇跡なんだ。
いつ死ぬのかもわからない。
明日は保障されていない。
だからこそ人は一日一日を大切に生きろと言うのだ。
だからこそ今やるべきことは先送りにするなと言うのだ。
この命に感謝する。
22年間歩んできた道に感謝する。
出逢ってきた人々に感謝する。
産んでくれた両親に感謝する。
この奇跡に感謝する。
そしてこの命がいつ途切れても、これまでやってきた事に対しては満足できる生き方を。
一年間、一ヶ月、一日、一時間、一秒を真剣に生きよう。
Happy Birthday 自分。
平等じゃない世界でも、私なりのやり方で強く輝いてみせるから。
私の命、よろしく。
[3回]
昨日の事ですが、声優プロダクションの所属タレントのボイスサンプルを聞いていたのですが、確かに皆さん上手いです。
でもたくさんの人のを聞いているうちに気づくんです。
「あれ?飛びぬけて上手いっていう人がいないなぁ」って。
本当に「おい!それはないだろう!」っていうような芝居をする人はいないんですよ。さすがにね。
だけどなんだか…パッとしない。
誰も彼もが同じような芝居をしている。
そして、ベテラン声優の方のボイスサンプルを聞いたらスッキリしました。
さすがに上手いんです。ちょっと聞いただけでも「おぉ!!」って思えてしまうほど。
間の取り方、音の高低のつけ方。
そしてそれがうまいから「その場面場面を聞き手側にイメージとして自然と伝わってくる」
そうベテランの方の芝居には深みがあるんです。
声だけの演技というのは演者がしっかりその台詞の状況や心情をしっかりと作らないと聞き手には伝わってこないんですよ。
そしてもちろん、それを表現できる、伝える技術も持ち合わせてなきゃいけないんですが。
身体も使える舞台上の演技はしっかりと事細かく作らなくてもそれなりに出来てしまう。が声だけの演技って違うんですよね。
で、それができてないと芝居が平坦に聞こえてしまう。
小手先で演じてしまうのかなんなのか。
で、それが仕事の量にも関係してきているんですよね。
【人の振り見て我が振り直せ】
気をつけなきゃな!そしていつ何時でも「これでいいや」なんて思わないこと、常に前へその先へと気持ちを向けてなきゃね。
他の人に埋もれてたまるか!!
[2回]
立ち読みできる本屋に寄ったから久しぶりに声優雑誌を見てみた。
そしてあるグラビア写真を見て引いた…というよりも嫌悪した。
グラビアアイドルみたいに水着で撮っている女性声優を見たからだ。
いや、私が目指し始めた頃にはもう既に声優はアイドル化しつつあったし
声優雑誌もよく買って読んでいたが(その頃は500円程度で買えた)
その頃は立ちポーズに、インタビュー中のスナップ写真が多かった。
もう本当何年ぶりかに声優雑誌見たら、本当に目が点になった。
もうタレントやアイドルと寸分違わぬ程だと思った。
まぁ、でもグラビア写真は別に良いよ、気にしない。
どれだけドヤ顔しても、キメ顔しても、別に良いよ。
だけどさ、水着写真…グラビアアイドルみたいなのはさすがに嫌悪する。
別に今の声優という仕事を美化しているわけではない。
このアイドル化まっしぐらの声優業界にちょっとは「おい」って突っ込みたくはなるけど。
なんだろうか。
自分が目指している「声優業」と、実際の業界傾向との違和感かな。
まぁこんな売り方しているのは一部の声優の方たちだけだし、大部分は違うんだろうけどそれでも嫌悪感は拭えない。
声優は顔を出すな!なんてことは言わないさ、別に声優の顔を見たって「あぁ、あの声の人がこの人なのね~ふーん」みたいな感じだし、イケメンでもぶちゃいくでも別に構わないし。
だけどさ!ラインっていうもんがあるでしょーよ。
そう!グラビアアイドルと寸分違わぬところまできているのが私は嫌いだ。
その立ち読みした後、ずっと気分悪かった。
でも、必ずしもそういう道筋を辿らなければいけないことはないだろうし、別の道もあるはずだ。
大体グラビアアイドルみたいに水着写真で撮ることはあんまないだろうし、私はスタイル良くないからそんなことはないだろう。
まぁ、売り方はプロダクション側が決めることだろうけれど。
もうこれから声優雑誌の中身を見ることはないだろう。
でもベテラン声優の方たちがアイドル声優を嫌う気持ちが少しわかった気がします(笑
某ベテラン声優の方が「アイドル声優は声優じゃない!」と言ったと聞いた事があります。
んー。。
なんにしてもあのグラビア写真はもう二度と見たくない。
でも今の若い声優志望者の子たちは平気なんだろうなぁ。
逆にそれを見てキャーキャーワーワー言ってそうだな。
声優オタが多いだろうし。
むしろ「アイドル声優になりたい!」って言う子までいるしね。
まぁ…いいんだけどさ。
でも私は私の思う「声優業」「役者」というものを貫きたいな。
ある程度折れる必要はあるだろうけど、流されるまま流されたくない。
[1回]