昨日の劇団の稽古で思った事。
「そこにいる」「立っている」という存在感は舞台芸術では得に必要ではないのかと。
その人がいるだけで舞台の雰囲気が全く違うようになる。
それは、きっとその役の「何しにきているのか」「何を思って、何をしようとしているのか」
「何をここでは伝えなければいけないのか」など役者自身がよくわかって芝居をしているからだと思うんです。
それはイコール役作りの深さにもなってくる。
ただ、それが出来てないと、ただその場に立って、台詞を言って・・・とただ台本をなぞっているだけで
客席には何も伝わってこないし、関係者などからはお叱りのお言葉を受けるであろうこと。
自分の事だけではなく、シーン全体もしくは劇全体の「メッセージ」というのを汲み取り
それを伝えるという意思を役者は確かに持ってなくちゃいけない。
そう、役者自身は脚本全体を理解しなくてはいけない。
どこをテンポを出すか、どこに重点を置くか、どこで間をとらなきゃいけないのか
どこで盛り上がり、どこで締めなきゃいけないのか。
昨日の稽古で通しみたいな事をやって、全体を流してやってみたら
すごく愕然としたのね。
もうただ流しているだけ、何も伝わってこない。
そんな事を言おうとしたら言うタイミングを逃して言えずに終わってしまって。
演出は皆を上げて上げて褒めて褒めて・・という方なので
自分との感じ方の全くの違いにちょっと内心笑えたり(笑
多分、もっと深く作り込まないと、お客に見せられるレベルにならないぞ・・と。
なんだか自分でも考えさせられた稽古でした。
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