お風呂に入りながら、人の記憶と生を考えてたら
微妙に気持ち悪くなった。
しかも、それを「糸」としてヴィジョンしてたのはまだいいんだけど
「ピース」で考えてたら、気持ち悪い映像になってそれが身体的にも及ぼした感じが。
ひさしぶりにここまで深く哲学的な事を考えたよ(笑
なぜ「記憶と生」を考えたって、母のお母さん、つまりおばあちゃんがアルツハイマーにかかり
・・・まぁ、1月1日のスケジュールが空いてた本当の理由って
おばあちゃんがアルツハイマーで、症状の一つの被害妄想で
私達、兄妹を嫌っているのよね、で「会いたくもない、存在すら感じたくない」要するに、話に出すな、と。
そんな状態なので、1日は会いにいけなかったわけで。
で、そんな中、うちの家族は母だけ行って、母の姉の家族も行ったんだけど。
そこで、記憶の欠落が躊躇にではじめてきたみたいで。
今日、いきなり泣いちゃってね。
父がいたから、少し話を聞いて後は父にまかせたんだけど。
そこから、「記憶」について考えてたわけです。
人は記憶で生きているんだなって。
その欠落した記憶、自分で作り変えた記憶と、記憶の欠片。
それを「ピース」で考えたら、めちゃくちゃひどいヴィジョンに。
で、おばあちゃんは、その混濁した記憶の世界で生きている。
日々、摩り替わり、何かが欠落しながら。
過去の記憶で生きているというのなら、今を生きているというのはどういう事か。
とか・・・まぁ、そこから広がったり戻ったりしながらも考えてたわけです。
本当は気持ち悪くなったのって、忘れてたけど
今日、日本酒をちょっと飲んだわけだ(笑
すっごく飲みやすくて、「正月なんだから飲め飲め~」いわれ(笑
それでお風呂入ったからかなぁ~なんて
それで、おかしなヴィジョンが出来上がったから、余計に気持ち悪くなったって。
母は、きっと「行きたくない」という気持ちと「でも行かなきゃ」っていう複雑な気持ちがあると思うんだ。
私の気持ちだけで言えば、辛い気持ちを抱えてて泣いてる母はいやだから
「行くな」っていえるんだ。
だけど、母にしては自分の母親で、見放すなんて出来ないと思うんだ。
私が同じ様な状況だったら、私もそう思うから。
だから、私達にできることって、受け止めてあげる事じゃないかなって
笑える、安心できる場所であり続ける事。
そう思ったんだ。
でも、やっぱり、こんな暗い事考えていると、私の気持ちも辛くなってくるみたいで
いつも言うけれど、貴教の歌声きくとすごく安心して、自然と涙が出てくるね。
不思議だなぁ。
こんなに安心できるなんて。
あ、今日は駅地下でバザーやってたから
インナーやら、初!オーバーオール買っちゃったvv
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