『守破離』(しゅはり)という言葉があります。
私もたまたまネットをうろついていたら行き当たった言葉で気になったので調べてみたのですが、元々この言葉は観阿弥・世阿弥が使ったのが最初で、主に武道や芸事での教で使われる言葉です。
守は師匠の教えを正確かつ忠実に守り身に付けること。
破はそれまで身に付けたことに縛られず、既存の概念を破り新たな発展をすること。
離はさらに前進させ新たな境地を開くこと。
人それぞれの解釈があるみたいなのですが(そりゃー室町時代の頃の言葉だもんねー)、特に破の解釈が人によって違いますね。
私が書いたのも私なりの解釈だったりします。
この『守破離』で私の今の位置を示すなら『破』でないかと思います。
その場合、師とは「K先生」の事かと思います。
自分自身、先生の教え子だと思っていますしね。
一番得るものが多かったですし。
専門卒業してからすぐに『破』にぶち当たりましたし、今でも今までの教えに縛られず自分自身で創ったり壊しながらやっています。
あと『破』の解釈で面白かったのが「師とは違う教えをも吸収し発展させること」と解釈されている方もいました。
なるほど、とにかく師の教えを一旦は壊さなきゃならないということか。
そして新たなものを吸収し、またそれさえも壊しながら『離』にたどり着くと。
武道の世界は味わったことないのでわかりませんが、芸事は必ず「創造と破壊」を繰り返すと思うのです。
創造と破壊こそが、新たな境地を開くのか。
『離』の解釈でも「自在の境地に入ること」と解釈された方もいましたね。
一切のこだわりを捨て、何にも縛られず、思うままに考え自然に身をおいて行えば自ずと境地に至る、と。
んーなるほど、拘りが捨てられない時点ではまだ『破』の段階にあるのかもしれません。
果たして『離』までたどり着けるのか。
本当に境地だと思います、『離』はね。
『離』の境地に入ったら、どんな景色が見えるのだろう。楽しみだなー。
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