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おじいちゃんに会いにいってきました。
今日は仮通夜で、明日が通夜、明後日が葬式となったそうで
私は明日は小屋入り、明後日が本番なので、
今日の仮通夜だけいるということになりました。
最初、家に着いた時に
まずおじいちゃんの顔を見ました。
正月の時よりももっとやせ細っていました。
死因は心筋梗塞だったそう。
あのお酒好きなおじいちゃんが最近は飲まず
タバコも吸ってなかったそうで
亡くなる一日前、二日前には下痢を起こしてたみたい。
心筋梗塞を調べてみると、予兆として下痢を起こすこともあるみたい。
そして、最近はテレビで葬式とかの番組とか
そういう新聞の切り抜きなんかもあったりして
死期を予感してたのか・・・おじいちゃんは84歳でした
歳のこともあり考えていたのか。
部屋のドアも空けれないぐらいに弱っていたみたい。
心筋梗塞。
おじいちゃんは苦しくて痛くて倒れたのか
その短いようで長い時間、どう思っていたのか・・・。
おじいちゃんの机の上にあった一つの手帳。
メモ代わりに使われていたみたいで、
電話番号やらバスの時刻表とかが書いてあり
8月の5日までの所は、年金とかお金の数字が書いてありました
そして5日には線が引いてあり、その後にはまたメモ書きが。
偶然だろうけど、なんか偶然じゃない、もっと違うものがあるのではないかと思ってしまった。
偶然じゃない、といえば
私は反核の舞台で、身内の死を背負う女性を演じます。
本番数日前のこの出来事。
「糧にしろ」といわれているような気もしました。
私は生きている。
おじいちゃんは死んでいる。
生きている私、呼吸している私、動いている私
息をしていないおじいちゃん。
不思議で仕方がないと同時に
私が息をしているから、おじいちゃんが動いているように見える。
でも、息をしていない。
時は過ぎる。
おじいちゃんが死んでも、時は過ぎて
私たちは生きている。
写真で見る、6,7年前のおじいちゃん。
目の前にいるおじいちゃんとは違い、すごく元気で
生き生きしていて、茶色いスーツを着ているおじいちゃんはかっこよくて。
数年前と数年後、どうなっているのかわからない。
生前、その人はどう思って生きていたのかを知りたがるのは
生きているもののエゴだろうか。
悲しいとか寂しいとかそういうものだけでは語れなく
また、そういうものとは別の感覚というのが
死を背負うということなのか。
そして、私は生きている。
おじいちゃん。
天国でも元気で明るく笑い続けてね。
あの、明るいおじいちゃんが好きだったから。
すごく大好きだったから。
84年間、お疲れ様。
ありがとう。
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