仮初日!終了いたしました!
結果は…ズタボロです…。
中身はできてきたんだけど、「男の子」「小さい子」に見えないと言われ。
色々自分の中で考えながら、それでも試しながらやっていたりするんですけど
なかなか演出が思い描くものが出ててないみたいで。
他の人からも色々アドバイスを受けたんですけど…
これはこうした方がいいんじゃないか、と言われた事にでもこうするとああなるからどうなんだろうなーって思うんですよねといった所「やってみなきゃわからないから」と言われ。
うん、それはわかってるんですけど…^^;
私も試しながらやってみたりしていて、でも「これじゃあ逆効果じゃないか」とか思ったことを素直に聞いているだけなんですけど…「やってみなきゃわからない」と全て返されてしまう。
アドバイスもらえるのは嬉しいんですけど、全て丸投げなのでちょっと演出にズタボロに言われた後の私にしてみればちょっときついものがあったり^^;
あれですよ…要は頑張って頑張って頑張ってるのに、更に「頑張れ」って言われてるようなそんな気分(笑
まぁ、役者ってこんなもんだと思うんですけどね。
結果がでなきゃ「頑張った」と認められない、そういうのなんですよね。
良くも悪くも結果が全て。
でも私なりにどうすればいいかを考えたので、次の稽古で試してみたいと思います。
多分私は一気に情報を投げ込まれても瞬時に処理できないのかもしれない。
自分のベクトルの先にあるものならいいんだけど、別のベクトルを求められた場合少し時間を要する。
だけど周りに影響されず焦らず、自分の中で一つずつ処理していけば自然と落とし込めたりする。
声優になるのならばその作業を一瞬にしてやらなければいけないのだけれど。
そんな自分の現実に憤りを感じるけど。
でもやるしかない。
この孤独な闘いの先に待つのは、絶望か…それとも…?
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その前に本番用の歌を収録してました。
本番はもちろん生歌なんですけど保険として流すんです。
そしてトップバッターで私の歌を録音。
今は他の人が録音してます。
ヘッドフォンで音を確認できなくて、しかもスピーカーから音を出して録音するので音が大きいとマイクで拾っちゃうので音源は最小限のボリュームの中歌わなくちゃいけないので難しかったー。
自分から出てる音と歌の音源を両方気にしてなきゃいけないので。
でもテスト一回やっただけでOK!
本番で小さいながらも流すので本番フェイクできないかしら。
ふむ。
あとは仮初日!
うちの劇団の関係者方々が見に来るので頑張るぞぉ!
[0回]
今日は演出がお休みで、代わりに脚本書いた方(劇団の代表でもある)が見てくれていました。
いやぁ~ずっと1回はその人に演出つけてもらいたいなぁ~なんて思ってたから
どんなダメが出るか楽しみにして通しをやりましたが…
さすが、出るところ細かくそして的確。
他の人に言うこともいちいち納得しますね。
普段、演出から言われていない所を指摘されたのでなんだか新鮮。
「メリハリ」だね。
うん。
そして、私の左肩が下がっているとの指摘。
稽古終わって鏡でみるもわからず。
んんー。
姿勢が悪いのかも。
意識して歩いてみよう。
それか癖なのかもしれないけれど、舞台上で立つとそれって見栄え悪いし、何より発声に響くからね。
発声といえば。
最近、五十音などの発声+外郎売を全文やってたりします。
早めに通しを始めちゃう時なんかまともに発声練習できない時もあるんだけど、やはりあらかじめ発声やった時とやらなかった時の喉が違うんだよね。
外郎売は得に発声と渇舌兼ねてるから、舌の周り具合も全然違うのよ。
やっぱ基礎は大事さ、うん。
専門時代から、「基礎はできてる」と言われてはいたんだけど。
あぁーそうそう。
感情が入ると明瞭さに欠ける、とも言われてたんだけど。
今はそうもないので、ちょっと成長したのかな?
その「感情が入ると明瞭さに欠ける」と今回、他の役者さんが言われていたので
そのことをふと思い出したわけです。
今度は明後日ですな。
舞台美術は外注なので、明後日本番でも使う2段ベッドがきます。
私は全く持って使わないけど(笑
私は常に平行移動(笑
そして、台車に乗って動かされる、という。
それが小屋入りしてからじゃないと確かめられないっていうのもちょっと不安ですが。
小屋入りしてからうまく対応していかなきゃな。
うん。
本番、子どもたちが見て、ほっとあたたかくなるような芝居にしたいなぁー。
そう願わくば、大人になっても思い出せるようなそんな印象的な時間にしたい。
その為にはもっともっと上を目指さなきゃな!!
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元彼と付き合っていた時の彼の日記を久々見つけ、読んでみた。
その当時、お互いのブログを知っていて読みあっていたからそこから些細なことで喧嘩したりしました。
ですが、今改めて読んでみると彼が本当に望んでいたことが少しわかったような気がします。
「愚かさも、弱さも、脆さも…全て受け入れて欲しい…」
私はその当時は、それが受け入れられなかった。
「弱さは強さへと変えることが重要」だと考えていたから、もしくは努力をするべきだ、と。
彼が言っているのはただの怠慢にすぎない、と。
今でもそれは「弱さは強さへ変えるべきだ」と思っています。
多分それを止めてしまったら人は成長しないから。
だけど、大切な大好きな人にはそれさえも受け止めて欲しいと、そうすれば弱さを強さに変えられる勇気が出る…そうなんだよね。
私も今そう思うから。
ただ何故今そう思えるか。
まだ私の弱さを全て見せているわけではないけれど、きっと受け止めてくれるだろう人がいるから。
それに昔にはわからなかった彼の強さが今はわかる。
「どれだけ酷い事を言われようが、傷つけ傷つけられても、絶対その手を離さない…」
それは強さだよ。
淋しさからくるもの、独りにはなりたくないという欲からくるものだとしても、それは強さだ。
こうやって昔とは違う視点で物を見られている。
それは今ではなく過去だからなのかもしれないし、もし今同じ様なことが起きたときに昔と同じ様になってしまうのかもしれないけれど。
だけど、これは確かに私の中で何かが動いた証拠。
なんだろうか。
時が齎した変化なのかもしれない。
日常の積み重ねが起こしたのかもしれない。
だけどこれだけは言える。
誰かが私にくれた温もりがこうしているのだと。
『…ひとりでいられる強さをもつ人は、ずっとひとりでいないといけないのでしょうか…?』
ひとりでいられる強さをもつ人は、ふたりでいるともっと強くいられる。
たとえひとりが倒れても待っていることができる。
支えてあげることもできる。
ひとりでいられる強さをもつ人は、誰かに強さをあたえられる。
だってひとりでいられる強さをもつ人は、弱さをしっている人だから。
歯をくいしばって立ち上がってきた人だから。
…でもごめんね。
ひとりにしてしまって。
今私ができることは何一つないけれど。
あなたの弱さを全て受け入れて優しく包み込んでくれる人のそばで、あなたの幸せが訪れますように…。
昔の私は求めることばかりで、与えること、受け入れてあげることを知らなかった、知っていたとしても出来なかった。
だけど、今度はちゃんと与えてあげられたらいいな。
この中にある温もりを今度は誰かに。
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